勉強法の変更は勇気がいること。これまでの成績より下がることはしたくないから。だから、やったことのない勉強法を取り入れることで、全てを失うかもしれないと考えてしまう。
たとえばわかりやすい勉強法、例えば個別指導塾であげれば、わからないところをすぐに教えてもらえる。しかし、そのわからないことは何が原因でわからなくなっているかを自分で追求しないといけない。そうでないとわからなくなっている自分の理解する過程に誤解や未入力のものがあることに気づかない。間違いのパターンを把握している個別教師であれば、そこのところを見透かして修正作業をしてくれるだろう。止血しなければいけない箇所を的確に把握できる教師がいる場合には有効である。
集団塾でも小テストの多い塾、一人一人にソクラテス方式で理解を確認していく場合、周りの子たちが質問を投げかけられている時、自分のことのように受け止め一生懸命考える場合、他力ではあるがなぜだろうの体験ができている。しかしこれも講師の小テストの作成力、講義中の質問力による。映像授業・オンライン授業も同様である。
繰り返さないと頭は学習項目の覚えるべきことを当然のことと判断しない。繰り返さないと体は即座に問題に対して反応しない。繰り返さないとアウトプットする際に覚えていることの濃淡を意識できない。では、繰り返しに有効なツールは何かを考えてほしい。個人授業を受けるのが有効なのか、集団授業が有効なのか、映像授業が有効なのか、AIが有効なのか?学習とは自分のエンジンの設計・加工・組み立て作業である。勉強法は戦略である。時間の決められたゴールがある場合、自分にとって、一番有効な戦略を選択することは自由だが、身一つで試験場で戦うことを前提にすべきである。
つまり、受け身の姿勢だけでは、なぜだろうとは考えない人になってしまい、試験場での一人での戦いにはサバイブできない。自分の時間を確保し、これまでにやってきたものの穴を無くす活動時間を通じて各項目における基本原理を一連で理解することや、基礎が頭に沈着する過程を通じて自身の理解不足を洗い出す作業が必要である。決して人に任せてはできない作業であることが、試験会場で気づくことになるのである。
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